時間は平等だと思っている君へ~時間は買える~
全ての人にとって時間は平等だ。
時間は買えない。
こんな話をよく聞く。
これは正しいのか?
確かに物理的に24時間を25時間に増やすことはできない。
しかし、相対的には増やせるのではないか?
どういうことか?
例えばあなたが今日食べたランチを思い出してほしい。
そのランチをゼロから作り上げるといったいどれくらいの時間がかかるだろうか?
ゼロ、というのはランチに関わった物、全てを自分自身で用意する、ということだ。米も野菜も肉も魚も・・調理器具もお皿も。
何年かかるか分からない。たかが一食分でだ。
それを人は1時間足らずの労働価値で手に入れているのだ。
これは経験が同じでもかかる時間は違う、ということだ。
そして、時間は買えるということを意味している。
いろんな人の協力があって時間を短縮している。そしてそれに対して対価を払う。ランチという『経験』だけではなく『時間』にもお金を払っているのだ。
今、考えなければならない事は「時間は平等だ」とか「時間は買えない」というきれいごとではなく、『何の時間を買うのか』そして『どのように時間を使うか』ではないだろうか?
正しい時間の買い方は、自分が楽をするためではなく、買った時間で新たな価値を作り、提供していくことだ。